8月7日に立秋を迎え、暦の上では秋となりましたが、まだまだ暑い日が続いています。みなさまお元気にお過ごしでしょうか。
来年に迫った前鳥神社御鎮座千六百五十年式年大祭。大きな記念事業は概ね完成し、いよいよ予定されている奉祝記念行事の準備が始まりました。
その中の一つである「四之宮と前鳥神社」展は、春期特別展として平成30年3月17日から5月6日まで 平塚市博物館特別展示室での開催が予定されています。
この展覧会は四之宮と前鳥神社が共に歩んできた歴史を振り返り、その総まとめを行う、いわば金字塔的事業です。神社が所蔵する資料・神宝に加え、四之宮地区に残された古資料を再発見・記録する機会となります。
そこでこの度、四之宮の旧家を順に訪問し、資料展への協力をお願いいたしました。
多くのお宅が古資料を探すことをお約束してくださる中、実際に古い物を出して見せてくださったり、その場で預けてくださるお宅もありました。その中のいくつかを当ブログでご紹介いたします。
最初に資料を提供してくださったのは諸伏家の方です。この諸伏家は過去にご当主が左喜登利会会長、奥様が婦人部部長を務められた、神社と大変関わりの深い旧家です。お願いに伺った翌日に、早速この木箱を神社へ持ってきてくださいました。
木箱の中には1冊の冊子と2枚の紙が入っていました。こちらの冊子は江戸四大飢饉に数えられる天保の飢饉(1833‐1839年)に関する物です。諸伏助左衛門という方が記録した事が表書きから分かります。
2枚の紙の内1枚は包み紙、もう1枚は書付でした。
万延元年(1860年)に行われた「御公方様御普請御棟上」で投げられた棟上銭(上棟銭)を頂いたので大切に保管し、その旨を記録した、と書かれています。
万延元年の「御公方様御普請御棟上」とは、安政6年(1859年)に全焼した江戸城本丸御殿が万延元年11月9日に再建されていますので、この上棟式と考えられます。残念ながら棟上銭そのものは箱の中にはありませんでしたが、江戸城の上棟式の記念品を大切に保管していた様子が分かります。
余談ですが、諸伏助左衛門さんの名前は明治5年(1872年)の氏子連名板に村役人として見えます。同一人物か代々の当主が助左衛門を名乗っていたのか不明ですが、諸伏家が村役人を務めた家系だったことは間違いありません。
諸伏さまよりお預かりした古資料は内容を調査の上、展示会終了後にご返却いたします。貴重な資料をお貸しいただき誠にありがとうございました。
神社では引き続き四之宮にまつわる資料等の募集をしております。情報等ありましたら、ぜひお知らせください。