古来より変わらぬ9月28日、前鳥神社例祭が斎行されました。
前夜より降り続いた大雨のため、境内の祓所(はらえど)での修祓(お祓い)は中止となりましたが、神社本庁の定める規則に従って大祭式にて例祭は滞りなく厳修されました。
神社本庁よりの幣帛を奉る「献幣の儀」
「献幣使祭詞奏上」
本年の献幣使は神奈川県神社庁理事 箱根神社宮司の小澤修二様がお勤めくださいました。
神楽「浦安の舞」は四之宮地区氏子の小学校6年生によるご奉納
祭典中の雅楽演奏・浦安の舞演奏は氏子・崇敬者からなる雅楽保存会の皆さま
玉串奉奠は氏子総代より始まり、約90名の参列者が行いました。
祭典後、発輿の頃には雨はすっかり上がり陽も射すほどに。
肥沼青年部長の一本締め
大神輿発輿
神輿のお出ましを告げる「触れ太鼓」
赤鳥居から発輿した神輿はしばらく進んでトラックに乗せられました。ここからはトラックに乗って四之宮各地区を渡御します。
夕方になり、神社では奉納演芸が始まりました。小学校5年生による神楽「浦安の舞」
小雨の降る中、保護者や見物人が集まっていました。
相模人形芝居 前鳥座による御祝儀「三番叟(さんばそう)」
「三番叟」は新年や幕開けに舞われるおめでたいお祝いの舞です。
氏子婦人部さんによる「前鳥音頭」
前鳥音頭は前鳥神社のお祭りなどを歌った四之宮だけの音頭です。
お神輿を担ぐ振りが付いています。
伝統を絶やさないように、忙しい合間を縫って練習をされています。
奉納演芸 フラダンス
奉納演芸 舞踊
その他にもカラオケなど多数の方がご出演くださいました。
日が暮れて境内も賑わい始め
新造された一の鳥居から、初めて大神輿がお還りになります。
大神輿の還御
平塚市重要無形文化財「前鳥神社祭事」の一つ、「神輿宮入神事」が始まります。
氏子奉仕者が警護役として大神輿の行く手を照らします。
大神輿が鳥居を潜る様子
厳かに、賑やかに
参道の中ほど、クライマックスである「奠の綱(でんのつな)」。「奠の綱」をひと目見ようと大勢の人でごった返します。
岩崎世話人長の投げた「奠の綱」を肥沼青年会長が見事にキャッチ。綱は大神輿の蕨手(わらびて)に「とっくり結び」で結ばれました。
「奠の綱」のもう一端は氏子総代へ渡され、総代が大神さまを社殿までお導きします。これ以降、大神輿が後退することは許されません。
この「奠の綱」に触れることを許されているのは、綱を投げる宮世話人長、綱を受ける青年会長、綱を引く氏子総代と神代宮司だけです。
宮総代の提灯と氏子総代の先導で、大神輿は無事に社殿の前までやってきました。
担ぎ足りない担ぎ手たちと、一歩も後退を許さない氏子総代との駆け引きはしばらく続き、祭りの熱気は頂点に。
こうして大神輿は無事にお着きとなりました。
恒例の餅撒き
投げられた撤下のお餅を担ぎ手や見物者が受け取ります
見るのも叩くのも楽しいのがお祭りの太鼓
大勢集まってくださった友好団体の方々も徐々にお帰りに。
神輿渡御の警備を手伝ってくださった交通安全協会・消防団の皆さん
大神輿の周りには多くの人が集まって記念撮影をしていました。
一方、神楽殿では小学校6年生による「浦安の舞」が5年生の歌唱、雅楽保存会の演奏により披露されています。
年上のお姉さんたちは流石の貫禄
息ピッタリの舞を披露しました。
続いて氏子中学生による神楽「悠久の舞」
「浦安の舞」を修めた舞姫が、次に習うのが「悠久の舞」
「悠久の舞」は舞姫同士の距離が近いので立ち位置を合わせるのが難しいそうです
この華やかな装束は小学生の舞姫たちの憧れです。
参拝者や見物者が奉納演芸に夢中になっている頃、幕舎へ移動した大神輿から御神霊をご社殿へお戻しする「還御(かんぎょ)の儀」がひっそりと行われます。
マスクのような造りの紙の覆面と白手袋を着けた宮司が御神霊を捧げ持ち、神職が絹蓋を持って本殿前までお供します。こうして大神さまはお社へお還りになり、全ての神事が滞りなく修められました。
氏子役員を始め、多くのご関係の方々のご協力とご奉仕により、本年の例祭及び神輿渡御も立派に斎行することが出来ました。大神さまもさぞかしお喜びのことと拝察いたします。
昔から二つとない尊いものを「ありがたい」と言いますが、本来「有り難い」は「存在しがたい・珍しい・滅多にない」物や事象を指します。近年では毎年同じ日に例祭を行うことが難しくなり、週末に例祭日を変更する神社が少なくありません。しかし、そんな時代の流れの中にあっても、古式に則って変わらぬ例祭日にお祭りを行おうと尽力する皆さまの心が、前鳥神社の例祭を一層「ありがたい」ものにしています。